【脱毛症】辛かった時期を乗り越えて。

※この記事は、汎発性脱毛症を患って約10年。2022年9月10日よりオルミエントの内服治療を開始し、現在も治療中の人が書いている記事です。

 

私は、髪が生えていた頃、元々は、黒髪のきれいなストレートでした。

 

まつ毛は、友達から、爪楊枝5本くらい乗りそうー!なんて言われるくらい長くて。

自分でも気に入っていました。

 

二十歳の時、看護師として働き始めた頃、初めて円型脱毛症になりました。その時は、一箇所だけで、いつの間にか治っていました。

 

当時は大学病院に就職し、初めて社会人としてデビュー。

 

夜勤も月4~5回、2交代制で、残業も多く、心身共に疲れていたのかもしれません。

そして、25歳で結婚をしました。

 

その頃、ところどころに脱毛症ができるようになっていましたが、隠せる範囲だったので、あまり気にも、とめていませんでした。

 

結婚式も、付け毛や装飾でほとんど自分の髪の毛で綺麗にしてもらえました。

26歳で妊娠し、妊娠をきっかけに、ホルモンの関係で体全体が毛深くなり、脱毛症も同時にほとんど良くなっていました。

 

妊娠も出来て、脱毛症も治って、幸せでした。

無事に、27歳で第一子を出産して、初めての子育てで大変でしたが、幸せを感じながら育児に励んでいました。

そして、産後5ヶ月経った頃から、髪の毛が大量に抜け始めました。

最初は楽観的に考えていました。

髪の毛が抜けていても、旅行へ行ったり、プールへ連れて行ってあげたり・・

でも、どんどん髪が薄くなっていって、気がつけば腕の毛までも抜けているのを見つけたときは、恐怖でした。

悲しみと恐怖。

毎日泣いて。

家族や、子育て広場で仲良くなったママ友は、産後脱毛症だから、大丈夫だよって言ってくれたけど。

自分でも分かるくらい、これは異常だって。

外へ出るのが怖くなり、

友達からの誘いも断って。

全部抜けてしまったら、どうやって生きていくんよ!

って、

自分が自分じゃなきゃ良かったのにって、

勝手な事を思って。

抜けてから、3ヶ月経った頃、もう殆ど髪の毛は無くなって、眉毛も薄くなっていて・・。

実家に帰った。

私が疲れて寝てるのを、姉が寝顔の親子写真を撮ってくれていて。

↓これが、写真に写っている、私の髪の毛が生えてる最後の写真になりました。

私の頭を見た母が、気の毒そうな顔で、私を見た。

ストレス溜まってるんと違う?頑張りすぎよ。

って。

涙が溢れて。

 

もう抜け毛見たくないから坊主にして』って、

お願いして、バリカンで剃ってもらった。

坊主にしたら、少し気持ちが前向きになって、諦めがついたような。

初めての赤ちゃんを迎えて、たくさん思い出を作って、明るい家庭を築こうとしてたのに、脱毛症で、躓いている場合じゃない。

いつまでもクヨクヨしてはいられない。

そんな強い気持ちを時に持ち、

また、辛くなって落ち込んでを繰り返す、そんな日々が長く続いて。

私は、写真に写るのが、とても嫌いになりました。

 

脱毛症になって、最初の4年間は楽しそうに笑っている自分の写真がほとんどありません。

スキンヘッドで、日常の写真に写ったり、記念撮影をしたことも、ありませんでした。

家でスキンヘッドのままの私がいると、夫は私が写らないように、気を使って撮影をするのが決まりのようになって。

 

私自身も、撮らんとってよーといってカメラを避けていました。

すごく、つらい期間でした。

しかし、やっと、この病気と向き合って10年。

私は、スキンヘッドのままでも家族の記念写真や、日常の写真に、楽しく写る事が、出来るようになりました。

私が私をやっと認める事が出来たのです。

 

この脱毛症の姿の自分を認めたことで、私が私として存在できた。

脱毛症を患ったからこそ、今ある自分も大切にしたいなと、そう思えるようになりました。

この写真は、お正月に家族みんなで集まった時に撮った写真です☺️

 

 

母が撮ってくれて、我ながらいい笑顔です。

頭も光っていますが、笑顔も光っています☺️

 

こんな風に笑顔で、写真に写る日が来るとは思ってもいなかった。

 

私の周りの大切な人たちが、私自身を見てくれている、私は勝手にそう思って、、そう思わせてくれて幸せなのです。